TOP / STORY TOP(re-rendaring dawn) / SCENE 005
「イッタ、マスク外してるけど、室内クリーニングは?」
学校が休校になって4日目。買い物から帰宅した母がリビングに入ってくるなり、僕に聞く。
ARP不具合による影響は拡大を続け、一昨日ついに世界各国で相次いで緊急事態宣言が発令され、日本もロックダウン状態になり 外出もままならず、自宅でゴロゴロしている時間にも飽きてきた。
「もう終わってるよ」
家に取り付けられたクリーンユニットを使えば、1時間程で屋内をほぼ無菌状態にできる。
今や、これがないと、家でマスクデヴァイスやアイギアを外す事もできない。
普段 僕はコンタクトレンズ型のアイギアを使っているので、家が除菌済になっても、寝る時以外はめんどくさくて外さない事が多い。
両親はゴーグル型のアイギアを使っている。
母は心配性なので、デヴァイスを外している僕の姿を見ると、決まって家がクリーニング済みかどうかを聞いてくる。
僕だって死にたくない。マスクやアイギアをしてないって事は=ちゃんと除菌済みだってことくらい、いちいち聞かなくても理解して欲しいもんだ。
僕への確認だけではまだ心配なのか、買い物袋を置いて、足早に玄関にあるクリーンユニットの操作パネルを確認しに行く母。
僕は呆れて母のうしろ姿からテレビのニュース番組に目線を戻す。
マスクデヴァイスやアイギアにも、小型のクリーンユニットがついている。
外気に漂うウィルスをフィルターで除菌して、マスク内にきれいな空気を取り込める。マスクやアイギアの中はほぼ無菌状態というわけだ。
透明アクリルで口と鼻をすっぽり覆うドーム型のマスクデヴァイスと、目を覆うアイギアの装着が、この汚れた地球上で生きていくための必需品となった。
今から5年前の2020年、突如 世界中に未知のウィルスが蔓延し、多くの人々が亡くなった。
感染拡大しながら変異を続けるウィルスに、特効薬やワクチンの開発も後手にまわり、接触感染、飛沫感染だけでなく、空気感染する種も確認され、人類は対処療法的に、マスクを装着して感染予防するしか手立てがないのが現状で、発生から5年経った今もなお感染者は増え続けていて、感染後の後遺症に苦しむ人も多い。
テレビでは、ウィルス感染拡大防止のためのロックダウンと、今回のARP不具合による臨時ロックダウンの比較をしたニュースが流れている。
アイギアなどのデヴァイスの普及により、最近は随分と減ったテレビだが、我が家のリビングには1台だけ残っている。
僕と父は自分のアイギアで動画を観る事が多いので、テレビを使うのは主に母だけだ。
音はテレビから出さずに、各自のイヤーモニターで聞く事が多いのだけれど、母がいる時だけはイヤモニを外す。
母も当然マスクデヴァイスやアイギアをつけて生活しているが「ハイテク機能にはできるだけ頼らない主義」らしい。
イヤモニには 装着したままでも外音が聞こえるよう 集音マイクがついているので ちゃんと聞こえるのに、家にいる時イヤモニをつけたまま会話しようとすると「失礼だから外しなさい」と怒る。
あ、母が玄関から戻ってきたので、そろそろイヤモニを外しておこう。
マスクデヴァイス、アイギア、イヤモニを最初に開発したのは、日本のベンチャー企業だ。
「感染予防のマスクをつけたままだと 話し声が聞き取りづらい」という当たり前な不便さの意見をヒントに、マスク内に超小型マイクをつけ、相手がイヤーモニターをつければ、マスクをつけたまま会話がしやすいというアイデア商品が発端だ。
最初は全然売れなかったこの商品も、小型クリーンユニットフィルターによる除菌性能の向上と、さらに付加価値として、直接対話だけでなくスマートフォンを介した通信も可能になった事、アイギアにAR機能が追加され スマートフォンのモニターの代替として機能するようになった事、さらに、世界中のあらゆる情報が集約されたマルチコアシステム「ARP : Akashic Records Program」と完全連携した事で、マスクデヴァイス、アイギア、イヤーモニターは「新時代 三種の神器」と呼ばれ、瞬く間に世界中に広まった。
たった数年で、人との対話も、学校の授業も、テレビも、音楽も、すべてこのデヴァイスを使用する事が当たり前になった。
そして、人と人が触れ合う事、声や音を耳で直接聞く事もなくなり、気づけば、デヴァイスの外の世界から 音が消えたのだった。
こうやってイヤーモニターを外せば、世界はとても静かだ。
「たまにはこういう静かなのも、いいもんだ」
と、せっかく心地よい静寂にひたっていたのに、母がテレビのヴォリュームを上げた。
ニュースの音が静けさの中に割り込んでくる。